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ハゲ天・その時代
  昭和初期(1926〜30年)

ハゲ天の七十五年
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(c)株式会社渡辺ハゲ天

ハゲ天・その時代(1) 2003


<昭和初期(1926〜30年)>

 創業の1928年頃の銀座は、震災の復興も略終わり、モガ(モダンガール)・モボ(モダンボーイ) と言われる先端的な若者が帽子姿で闊歩していました。

  1926年の調査(曜日不明)では午後1時半から1時間に銀座通りを歩く男性は1146人でその30%、 女性は371人で96%が和服です。それまで着物に長いエプロン姿の松坂屋のウエイトレスの制服が 洋服に代わるのは翌27年です。現在の通行量は比較出来ませんが過半は女性で、和服は女性ですら 1%以下です。

  米国式中華料理店銀座アスターが26年、4丁目の洋食松本楼、7丁目の本格的西洋レストラン 資生堂パーラーは29年の開店です。

  28年の東京の天プラ屋459店に対しそば屋は3.4倍、すし屋は1.9倍有りましたがこの比率も 今は1:12:15ですから、当時天プラは屋台が在ったにせよもっと一般的でした。

  国産初のウイスキー[サントリー白ラベル]が4.5円で売り出されたのは28年ですが 今の値段は200倍、カレーライスは10銭、コーヒーも10銭で2500倍、処が安い天丼は 50銭が相場だったので今はその1000倍です。

  大卒の新入社員の年収は1500円でしたから給与は2000倍です。ただ大会社の社長の年収は 平均15万円だったそうで、何と新入社員の100倍ですが、現在でもその150倍位にしか増えて いませんので、その意味では給料の上下隔差は、大幅に小さくなっています。

  最近はデパートも夜8時までやっていますが、銀座三越が出来た30年には、朝9時から 夜9時まで営業し、銀座の商店街から売上が落ちたと苦情が出たとの記録が有ります。

  銀座の地価は1926年に新宿の5倍の3.3u当り1756円でしたが今はその1万倍です。 併し土地の値上りは銀座だけではありません。

  大阪のキャバレー「赤玉」が30年に35万円で120坪の土地建物を買い設備に10万円掛けて 銀座に開店しますが、ハゲ天は同年その隣に2000円の資金で借家して進出します。 

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