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ハゲ天・その時代
  昭和初期(1926〜30年)
  戦前の銀座(1931〜36年)

ハゲ天の七十五年
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(c)株式会社渡辺ハゲ天

ハゲ天・その時代(1) 2003


<戦前の銀座(1931〜36年)>

  1930年3月迄銀座は表通りに面した4丁目迄で、5丁目から先は尾張町、銀座店のある3丁目の 一つ裏通りは槍屋町でした。31年に銀座通りに柳が復活しますが、未だ昭和大恐慌の真っ盛りで、 6月には月俸100円以上の官吏は最高2割、最低でも5分の減俸が決まり、東北は飢饉で娘の身売りが 急増し「酒は涙か溜息か」の稍侘しい古賀メロディーが流行ります。処が9月に満州事変が始まり、 株も商品も一時大暴落しますが、暮には戦争特需でどうにか不況脱出の芽が生まれます。 32年チャップリンが来日し天プラを絶賛したのは5月でした。東京市は隣接町村を合併して35区になり 人口497万で世界第二位の都市になります。

  33年に今も盆踊りで使われる明るい東京音頭が出来、大ヒットします。12月に今の天皇が誕生され 花電車が走り銀座は年末と奉祝ムードに沸きます。34年には日比谷に東京宝塚劇場、日比谷映画劇場、 35年に有楽座、36年に日劇が出来、有楽町が銀座に隣接する娯楽街に変ります。33年銀座を歩く 女性の洋装は未だ19%ですが「今日もコロッケ明日もコロッケ」と言う歌が流行る程、街の肉屋の ジャガイモコロッケが大人気、34年にはブラジル政府の肝入りでコーヒー喫茶店が15000店に増え、 飲食の洋風化が進みます。

  この頃のサラリーマンの平均月収は98.3円で、飲食費は29.1円、住居費は17.7円、 支出総額は87.2円です。35年に築地に中央卸売市場が完成し、丹那トンネルが開通し熱海・伊豆が 賑わい、今年のNHK大河ドラマの原作である吉川英治の宮本武蔵が朝日新聞に連載を始めます。 36年に帝国ホテルのシャリアピンステーキが1.3円で評判になりますが、その頃のハゲ天の食事代は 大体1.5円〜2円でしたから、今より贅沢とも言えます。

  ともあれ、この様な銀座の興隆に連れてハゲ天も繁盛を続け、36年1月には日比谷の東京名物食堂に 13坪程の支店を開きます。

  

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