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ハゲ天・その時代(3) 2003
<戦時体制(1937〜43年)>
37年7月に日支事変が始まり、戦争時代に移って行きますが未だ景気は良く正月の浅草の
人出は1日30万人の記録を作り、梅田阪急百貨店の食堂も1日の客数が4.5万人、20銭のコーヒー付き
カレーが1.3万食出るなど世間は活気に満ちています。併し卸売り物価は対前年21%も上昇し、
1等白米がキロ32銭の最高値を付け、8銭だったうどん・そばが10銭に値上がりします。
軍需工場の雇用増で男子労働力が不足し、一般商店は女子従業員が増え、喫茶店のウェイトレスの給料も、
19〜20円に上がり、ハゲ天でもお給仕の小僧さんを女性にします。
38年になると漁獲量は530万tと過去最高ですが、4月にお米の統制が始まり、銀座3丁目には
ホットドッグの屋台が現れて人気を呼びます。東京の飲食店1.5万軒の内、喫茶・カフェー等は1/4に減り、
銀座・新宿の盛り場で学生3500名が検挙・補導されます。
39年4月に米が配給制に成り、12月には白米食禁止令が出来て飲食店の営業に制約が始まります。
でも銀座の表通りにお汁粉屋が19軒も出来る等、未だ明るさも有りますが梅干し一つの「日の丸弁当」が
登場し評判になる等、食べ物の質は急速に低下して行きます。
40年に成ると365g2円を越える魚の販売が贅沢品として禁止され、すしや天プラ屋の価格も制限
されます。併し紀元2600年の奉祝期間(11.3〜8)には、花電車が登場し銀座は身動き出来ない程の
人出に湧き返りました。
41年には食料が更に乏しくなり、町の肉屋で犬やオットセイの肉が公然と売られ、
配給のお酒や生鮮品は「ヤミ」と称する潜りのルートに流れます。42年にこの取締りが厳しくなり、
海老の闇仕入で天プラ組合の幹部連が警視庁に留置されたり、銀座の料亭37店が営業停止になります。
43年には銀座の街路灯が鉄資源とし撤去され、連合軍の反攻が本格化し、ハげ天の親父も和服から
国民服に着替えて隣組の警防団長が主な仕事です。
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