|
ハゲ天・その時代(5) 2003
<戦後の復興(1951〜57年)>
51年に日米講和条約が締結され、学校給食が始まり10月には米の統制が撤廃されます。銀座に街路灯が
復活しますが大晦日で大正時代から人気の露店が全面的に禁止され姿を消します。民放ラジオと国内民間航空が
始まり、機内食に銀座寿司屋の握り寿司が登場し話題になります。
52年正月にビルマ黄変米騒動が起きますが永谷園のお茶漬け海苔は大当たり、砂糖・麦・供出後の米が
自由販売になり、漁獲量が戦前を凌ぎ、栄養摂取量は2000Kcalを超えエンゲル係数も51〜52%と戦前並みに回復。
53年にはNHKテレビが1日4時間の本放送を、夏には日本テレビが街頭テレビを始め、銀座に森永の
地球儀型ネオンが登場名物に。酒の生産量が戦前の最高を上回り、米の値段も公定は68円に闇値も280円に下がります。
サラリーマンの平均月収は2.6万円ですが、国産乗用車「トヨペットクラウン」が102万円で発売され
愈々マイカー時代が始ります。
54年正月に通貨の“銭”が廃止され、うどん・そばの値段が20円から25円に値上げ、3月にビキニ環礁の水爆実験で
犠牲者が出、マグロに放射能が検出され、410屯を破棄、消費者の魚離れ進みます。映画「ローマの休日」で
ヘップバーンと共にソフトアイスが大人気。
55年に米の生産が1239万屯に達し食堂の米飯が自由化され、電気炊飯器が売り出され、普通米の闇値が配給価格を
下回り、鰻の養殖が盛んになりうな丼が大衆食になります。
56年は神武景気と言われカラーテレビの実験放送が始り、インスタントコーヒーやコカコーラが輸入販売され、
寄生虫予防の為、有機肥料を使わない清浄野菜が奨励されます。
57年には中国から初めて海老が輸入されポップコーン1袋30g30円で発売、働く人の1/3は女性でパートタイマーも
登場、数寄屋橋ショッピングセンター開店。年末には百円硬貨と5千円札が登場し、鍋底不況が始りますが、
法人化したハゲ天は順調でした。
[
戻る
]
|