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(c)株式会社渡辺ハゲ天
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ハゲ天よもやま話(1)
<何故天プラ屋を>
初代の親父は今の東京経済大学(当時は大倉高等商業専門学校)の夜間部を出て明治生命の社員でしたが
1922年縁有って上野の旅館の一人娘と結婚しそこの若旦那に納まります。処が翌年関東大震災が起り、旅館は
全壊、新夫婦は住む所すら無くなり、あちこち職を転々とした後に、何とか自分で仕事を始めたいと思い、
夫婦で汁粉屋や一膳飯屋をやったりしますが何れも上手く行かず、5年後九段で天プラ屋始めます。
この時天プラ屋にした理由は「少ない資金でやれる食べ物屋の中で、材料7分腕3分と言われる天プラなら、
長い修行を積まなくても何とかなる」と考えたからだそうです。これは誠に好い加減な様ですが、後日「素人よ
天プラ屋にお成りなさい。天プラを上手に揚げるだけなら半日も教われば出来る」と書き
、3日間付き切りで教え鰻屋から転向した人や、1週間店を見て最後の一晩揚げ方を教わっただけで開業した
呉服屋も居ると言っています。
また今日も天プラ屋の主人には中年の素人から始めて成功した方が多いのも事実です。
唯その人の店が繁盛するかどうかは別問題で、種の良い事を自慢してもそれは己の調理技術では無く、
お客様の好みに如何に合わせるかの方が大事で、その点いい加減な講釈を捏ねる玄人より、研究熱心な
素人の方が素直に合わせられる、結局はやる人の人柄と見識の問題で、天プラ屋は先ずお客様に愛される
事が必要だと自説の補強説明をしています。
最もこれは或程度成功してからの言い分で、九段の店は1年で行き詰まり、上司であられた明治生命
専務の阿部章蔵様(ペンネーム水上滝太郎)様の大変な御支援を戴いて続ける事が出来たのです。それは
親父の人柄を愛して下さったからと言えますが親父には阿部様は神様の様な救い主でした。そして昭和
初期カウンター椅子席の立喰天プラが流行った時流に乗れたのは親父の見識です。でも震災と阿部様が
居られなければハゲ天は存在しません。
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