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ハゲ天よもやま話(4)
<天プラ起源の嘘>
今でも良く耳にする一番古いのは徳川家康が鯛の天プラを食べて中毒死したと言う話です。
家康が1616年の1月21日に、茶坊主の茶屋四郎次郎を呼んで「近頃何か珍しい食べ物は無いか」と
尋ねた処「関西で鯛を揚げて食べるのが評判です」と言い、早速その晩に鯛の揚げ物を食べ、
気に入ったのでその翌日も食べたと迄はきちんと国師日記に記録も残っているので間違い無いと
考えられますが、当時は未だ衣揚げは始まっていないので、先ず食べたのは鯛の素揚げで天プラでは
無い事と、何より家康が亡くなるのはそれから3月近く経った4月17日で死因を鯛の天プラの食中毒と
する事はとても無理な話です。今日では家康は1年程前から胃の調子が悪く、死因は胃癌とされて居ます。
もう一つの通用している嘘は、山東京伝が名付けたとする説です。確かに岩波文庫にも入っている
「北越雪譜」弐篇にも取り上げられている話で、1781年頃出入りの男が上方では魚肉の衣揚げが
流行っているが江戸には無く、今これをやれば流行ると思うが魚の胡麻揚げでは回り遠いので
名前を付けて呉れと頼みに来たので「お前のような天竺浪人がぶらりと来て始めるのだから天麩羅だ。
麩は小麦粉、羅は薄衣の意だ」と言ったと有ります。
処が此れも1748年刊の「料理歌仙の組糸」に天ぷらなる揚げ物が載っているのですから博学の京伝は
それを承知で冗談半分に言ったのが後世実しやかに伝わったに過ぎないと思われます。この辺の事が
余りにも好い加減なので、20年程前、サラリーマン時代の同僚で食物史研究家の平田万里遠氏に
頼んで天プラの起源を調べて貰った事が有ります。彼の綿密な文献調査では、何れも起源を確証できる
資料は無く、語路合せや無理にこじつけただけで、日本料理史の権威であられた川上行蔵博士も
何時とは決めかねるとの説でした。
家康も京伝も著名人なるが故に、天麩羅の起源に利用され広まったとも言えそうです。
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