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ハゲ天よもやま話(5)
<人気の変遷>
どんな仕事にも栄枯盛衰が有るのは当然ですが、天プラなる料理が始まってから約300年間に、
特に人気を得た時が4回は有ったと思います。先ず天プラと言う料理が始まって100年程は、
一部特権階級の贅沢な食べ物でしたが、食用油が量産され屋台で串に刺した付け揚げが
今日で言うスナックとして庶民が気軽に摘まみ、江戸の町の辻毎に屋台が出て、店の人気番付が
売られる程になったのは、1800年前後の頃からです。
次ぎはその80年位後で、屋台が内店に発展し、入り口に揚場を構えて煙抜きと呼び込みを
考えてお客様を増やした時代です。戦後廃業されましたが銀座の天金さんは元治元年(1864)の
ご創業です。更に60年程経って関東大震災の復興も終わり、お寿司屋さんの様に椅子席
カウンターで揚げ立てを食べる稍高級スタイルの天プラ屋が人気を呼び、チャップリンが
来日し天プラを絶賛した昭和7年にはすき焼きと共に世界に通じる料理と大人気で、
ハゲ天もこの風の中での創業です。
そして戦争・食糧難の大打撃で飲食店は全滅しますが、ハゲ天は終戦の翌年にはバラックを
建て商売を始めます。併し食糧が乏しい時代なので助惣鱈のムニエルを売り大いに人気を
集めますが天プラの時代とは言えません。
何とか戦前の状態に回復するのは40年程経った昭和40年代に入ってからです。
当時は日本人の栄養は脂肪摂取不足で、天プラはその点で大歓迎され、銀座だけで天プラの
専門店が90軒も有りました。そしてその20年後の昭和60年からの外食産業時代です。
そこでは事業としての天プラ屋が考えられ、天丼チェーンが始まりデパートで専門店の惣菜天プラが
販売される等、多店化が始まります。
処がそれ以後は太る事を心配して揚げ物が敬遠され、今や天プラ屋の数は減る一方です。
こうして見ると人気が高まる間隔が略20年ずつ短くなって居るので、ここで新しい事を
考えねば成らない時に来ていると思います。
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