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ハゲ天よもやま話(6)
<飲食ビルの始まり>
今は繁華街に大きなビルが出来ると飲食街が必ずの様に作られますが、ビル内の大型飲食施設
としては昭和4年に小林一三様がターミナルデパートとして大阪梅田に阪急デパートを作り、
その最上階を大食堂にしたのが最初で、1日4万5千名カレーライスが1万食売れ話題になりました。
更に小林様は専門有名店を一堂に集めれば評判を呼べると考え、昭和11年に日比谷の東宝劇場街
への曲がり角に、床面積25坪程の5階建ての小さなビルですが「東宝名物食堂」と名付けた飲食
複合ビルを作られました。
1階は東宝のチケットセンター、2階は「ハゲ天」と「すし金」、3階が「鰻の竹葉亭」、4階が
「喫茶店?」、5階が「ステーキのスエヒロ」でした。ハゲ天としても始めての支店で怪我で頭の
禿た弟子を店長にし、カウンター10席ほどの小さな店でした。ビルの場所の良さも有り、大変な
人気で、一月も経つと私共の銀座の本店を凌ぐ売上を示す程に成ります。
昭和11年と言う年は2.26事件が起こり、プロ野球が始り、阿部定の猟奇事件がある等世情は
不安定でしたが、東宝と松竹が演劇に凌ぎを削っていた時代で、町には未だ活気が有りました。
併しこの好調も昭和15年には飲食店での米食販売が制限され、従業員も徴兵や徴用で少なくなり、
名店街も毎日営業出来なくなります。18年には天プラにする魚が手に入らず、週に2日程、昼だけ
カレー炒り飯を売る為に開ける等しましたが、これにもお客様は階段から路上にまで並んで待たれる
程でした。併し19年3月には宝塚劇場が最終公演、皇居を空襲から守る為に、第一生命のビルには
高度1万メートルに届くと言われた最新鋭高射砲が据えられ、5階建てのこの小さなビルも陸軍に
接収され高射機関砲が据えられます。戦後は色々事情で小林様の卓見に因る名物食堂は復活せず、
遂にこの5月に取り壊され、70年の歴史を閉じましたが、来年には新しい飲食ビルに生まれ変わります。
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