QTVR is here!

東京都中央区銀座3-4-6
TEL 03-3561-1668
OPEN)
午前11:00から午後10:00
年中無休

地図は ココを クリック


ハゲ天ご案内
  フロアご案内
  全国のハゲ天のお店

ハゲ天よもやま話
  何故天プラ屋を 
  屋号の経緯 
  天プラって 
  天プラ起源の嘘 
  人気の変遷 
  飲食ビルの始まり 
  戦前の商売

天プラも変わる
  状況の変遷 
  揚げ物として 
  油の問題 
  粉のバリエーション 
  衣の変化 
  種の変化1魚介類 
  種の変化2野菜その他 
  調味料の変化 
  天プラ屋スタイルの変遷 
  食べ方の変化 
  新しい動き 
  未来に向け、世界に向けて 

 [ ハゲ天 HOME

ご意見、ご感想、
ご要望をお寄せください。


(c)株式会社渡辺ハゲ天

ハゲ天よもやま話(7)


<戦前の商売>   ハゲ天が銀座に出た1930年は、関東大震災の帝都復興祭が行なわれ昭和天皇が銀座通りを 巡幸され、銀座の名称が8丁目迄広がった年です。銀座のシンボル和光の時計台は2年後ですが、 松坂屋は24年松屋は25年、三越がこの年4丁目角に開店します。

 大型カフェの美人座が1丁目に10月には店の隣に赤玉が出来、世間の不況を他所に銀座は 大いに発展を続け盛り上がって居ました。

 店は借室で1階10坪程に9人のカウンター席と厨房、2階は大家さんが住み、3階の6畳一間に 我々親子5人が住むという状況でした。

 メニューは「お好きな物をお好きなだけ」で車海老30銭、巻20銭、イカ・芝海老かき揚げ25銭、 穴子15銭、めごち・はぜ・きす10銭、するめいか・しゃこ5銭、菊正宗1合30銭、漬物10銭、 ご飯1ぜん5銭、2ぜん以上幾らでも10銭で、野菜は季節の物を魚の合間にサービスでお出しして いました。そしてこの値段は食料が統制配給になる1940年ま迄10年間守り続けます。働き手は 最初は親父夫婦と下働きの親父の兄の3人でしたが、後に少し繁盛する様になってからも 調理補助兼接客サービスの「小僧さん」2名だけでした。当時の冷蔵庫は氷ですから、種はその日に 使い切らねばならず、休日は河岸が休みの正月三ヶ日と毎月10日と22日でした。閉店時間は お客様に合わせ深夜12時を過ぎることも有りお客様は市内は何処でも1円の円タクで帰られました。

 ともあれ素人の始めた店が、何とか軌道に乗り発展できたのは、銀座へ出させて下さった 水上滝太郎様の格別のご援助が有ったからで、このご恩は永久に忘れることができません。

 後に親父は「資本を出し、お客様を連れて行き、そこの親父の人柄を悪捨良入して宣伝すれば 凡そ繁盛しない店は有るまい。ハゲ天は水上様から正にそうして頂いた店だ」と言っています。 併しこの好調も1940年になると街に「贅沢は敵だ」のビラが張られ、銀座にも戦時色が強まり 段々陰って参ります。

戻る